新・京極派

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zoom RSS さて、哲学をはじめよう 3。

<<   作成日時 : 2017/06/13 11:52   >>

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平成29年2017年6月13日火曜日 am. 10 : 03
 哲学、の進め方について3
 (2への書き込み)

  新 情念論
   ー電柱はどこに立ってゐる?ー


こころを平安にして一切の先入観無し(←不可能事に属する境地)に目の前の電柱を見る。

電柱は、どう見ても私の目の外、前方に在る。

デカルトの情念論のあの挿し絵(←中公文庫版、岩波文庫版に掲載)のように、わたしの頭蓋骨内の脳内のある中空にホログラムよろしくそれ(電柱)は宙に浮いているようには、絶対に、

 見えない
 感じられない

が・・・これはどうしたことだ?
デカルトのあの挿し絵には重大の根源的の欠陥が在る。もし、デカルトの【像(外界世界の)】が脳内の松果腺の真ん中宙空にホログラム状態で浮き上がってゐるとしようか。では、そのホログラム像を見る【目】の機能有する【目】が要るのではないか。ナンセンスではないか?デカルトよ。

また、10年前の昔。
大阪市東淀川区東淡路4の26の4の貸家台所で、両手を大きく広げ、両目を見開き大きく光らせ私を見上げ生き生きと言った。わが次男。
わが次男の言った「おとうさん、目ぇって凄いで、世界がぜぇんぶ入って来てるねんでぇ」という風には電柱はわたしの目の中に入って来ていないように、

 外にあるように見える
 外にあるように感じる

その日、次男の言葉を反芻しながら玄関を出ると、幅3メートルの路地の向こうに電柱が立ってゐる。その電柱はやはり、

 わが外に
 3メートルの距離(を隔てた時空)に

在るように見えた。
私は以上のようなことを、考え、次男への反論と議論と考察の深め方についてを思っていた。が、これにはとてつもなく長い時間が要るだろうと直感してゐた。その日から10年の歳月が経ってゐる。わが結論は、わたしにも信じられない事柄に至っていて、10年間を、その結論をどう記述するかを思い悩んで来た。最近になって、ようやく、ある順序立てて、記述を進める方法、勇気のようなものが固まって来た。


【わが『新 情念論』の扉に置かれる断簡】↓
 合理的科学的に、疑問点を消して行く。その結果残ったモノは、どんなに信じられないものであったとしても、それが真実である。
 シャーロック・ホームズ

神秘とは世界が【いかに】在るか、ではない。世界が【在る】というそのことである。
 ルードウィヒ・ヨーゼフ・ヨハン・ウィトゲンシュタイン


大阪市東淀川区下新庄
矢嶋博士

写真は新京極派で
http://shinkyougoku.at.webry.info
日刊短歌
http://yasimahirosi.at.webry.info

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