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zoom RSS さあ、哲学するか6。ジャコメッティ

<<   作成日時 : 2017/06/15 00:28   >>

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平成29年2017年6月15日木曜日午前0時25分
【新情念論6ー電柱はどこに立ってゐる?ー 】

 ジャコメッティ

ジャコメッティはヒトの全身立像、胸像を作ってゐて、「どんどん小さくなってゆき、しまいには消えてなくなってしまう」現象に悩んだ末に「絶対に小さくしないぞ」という規則を立てた。・・・そうすると、像は、

 細長く細長くなっていった

と語っている。
ジャコメッティはヒトの像を、

 距離の彼方に浮かんでいる

現実そのもの、として捉えたかったのだ。ジャコメッティは、

 距離

を見ていた、のだ。古典的遠近法(デカルト的、すべての凡庸の絵描き、彫刻家)では、現実の中に浮かぶヒト、という存在を描けない、刻めない、ということを、認識した果ての行為だったのだ。

しかし、なんという美しさだ!ジャコメッティのすべての鉛筆デッサン、油絵、ブロンズ、の!!。すべての!!!。










平成29年2017年6月14日水曜日午前2時08分

 淡路マクドまえの月

午前1時である。淡路マクドのコーヒーの合間に外にでてエコーを吸う。見上げれば南空の高高度超遠距離に月が浮いて、ひかり輝いてゐるのが、見えた。

デカルトよ。
この月は、お前の頭蓋骨のなかの脳の中の松果腺の真ん中に浮かんだか。

デカルト=浮かんでゐるとも。
ヤシマ=では、お前の松果腺というのは途方もなく大きいぞ。地球淡路マクドのまえの地上から月までの距離があるのだ。少なくともな。昼間は太陽までの距離を容れるほどのなぁ。
デカルト=えっ、そんなに大きいの?
ヤシマ=なに、ぬかしとるんじゃい。お前の『情念論』の中の挿し絵を見るとそうなるでぇ。
デカルト=しかし・・・そんな大きなモノは挿し絵にも出来んぞ。
ヤシマ=しかり。然り。お前の、あの挿し絵。あの挿し絵を掲載させたお前の視覚に関する考察には、

 距離

という要素がまったく入っていない。これがデカルトよ、お前の致命的欠落であったな。
月は松果腺の中には浮かんでいない。
月は遥かかなたの距離の時空に浮かんでゐる。
それがどうして、見えているのか?・・・それが問題じゃ。人は(動物一般は)モノを見ているのではない。距離を見ているのだ。デカルトよ、お前の考察には、

 距離を見ている

という、この根源的在り方、がすっかりごっそりまるごと、欠落しておった。これは致命的欠陥である。
ちなみに、月の見かけ上の大きさをいえば、日本の五円玉、五十円玉を親指と、人差し指で挟み、腕をいっぱいに伸ばして見たその穴に、すっぽりと入る。それほどの、

 小ささ

のモノである。

 距離

というのは偉大なモノではないか。
距離というのは時間のことでもある。空間のことでもある。デカルトよ、お前の『情念論』は根本的に批判、推敲、完全否定、書き換えなければなるまい。よ。
デカルト=・・・・・・゜¨ゞゞ。
ヤシマ=メートル原器の大きさの変化。ジャコメッティの肖像彫刻、肖像画がなにゆえにかのように細長く、小さくなっていったかの必然、は次に明らかにされる。

写真は新京極派で
http://shinkyougoku.at.webry.info
日刊短歌
http://yasimahirosi.at.webry.info

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