新・京極派

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zoom RSS 事実でないとしても、人間にとって真実である。3

<<   作成日時 : 2017/07/02 17:20   >>

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平成29年2017年7月2日日曜日
 遠藤周作『イエス巡礼』を読む 3.

【文春文庫28ページ】
 イエスの生誕日曖昧でも、ベトレヘムで生まれたのではなくても、私は彼の生まれた場所、生まれた日を決めざるをえなかった人間の願いのほうに心ひかれるのだ。長い長い歴史の間、人間はやっぱり救われたかったのだ。自分たちの心を洗いきよめてくれる救世主(メシア)がほしかったのだ。その日だけは自分たちの心を洗いきよめようと大事に伝えてきたのである。

写真は新京極派で
http://shinkyougoku.at.webry.info
日刊短歌
http://yasimahirosi.at.webry.info

平成29年2017年7月3日日曜日
 遠藤周作『イエス巡礼』を読む 2.

 シオンの女(むすめ)よ大(おおい)に喜べ
 エルサレムの女(むすめ)よ呼(よば)われ
 視(み)よ汝の王汝に来る
 正義(ただ)しく拯救(すくい)を賜わり
 柔和にして驢馬に乗る
 (預言者ゼカリヤ、九ノ九)

 イエスの義は大祭司カヤパの正義とは正反対のものだった。政治的な善とは対立するものだった。「柔和にして」・・・すなわち政治の義ではなく、愛の義だったのだ。
(遠藤周作)

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平成29年2017年7月1日土曜日
 遠藤周作『イエス巡礼』を読む
 ー事実ということ、真実ということー
 

文春文庫版12ページ。
 たとえ現代の聖書学者がイエス出生にまつわるルカ福音書やマタイ福音書の記述をイエス伝説から採ったものとみなし、それを【事実】ではないと考えるとしても、これらの物語は人間にとって【真実】だったからである。

クリスマスや受胎告知がたとえ創作であったとしても、その創作の動機は人間の悲しみからうまれたものであり、その創作は優れた芸術作品と同じように、【事実】よりはるかに高い【真実】だったのである。

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